教師は労働者なのか? 法律でまちまちな教師像


特別寄稿 全国教育問題協議会 山本豊常務理事

日本の教育正常化をめざす一般社団法人・全国教育問題協議会(中尾建三理事長)は長年、教育改革に関する提言を行い、美しい日本の心を育てる教育実現に向けて手弁当で活動してきました。

その中心となっているのが、長年、全国教育問題協議会で基礎を築いてきた山本豊常務理事です。

今回は、山本豊氏の「教師は労働者なのか? 法律でまちまちな教師像」というタイトルの特別寄稿を以下、紹介します。

■法律によってまちまちな教師像

自民党は教師を「聖職」といい、社民党は「労働者」、公明党は「使命職」、共産党は「教育労働者」または「一面聖職労働者」など、各政党の教師像はまちまち。

それぞれ自党の考えをそれなりに語っているだけで、格別に「教師とは何か」を客観的に明らかにしたわけではありません。

それどころか、教師とは何かをますます分かりにくいものにしています。

わかりにくいのは呼名ばかりではありません。法律上、教師の性格は一層わかりにくくなっています。法律上、教師の呼称はいろいろあり、どの呼称が教師の「身分」にふさわしいか、さっぱりわかりません。

教師の呼称が関係各法律によって、どのような呼称になっているか調べてみました(下表参照)。

このように、教師の法律の呼び名も乱雑を極めており、他の職種には見られません。

たとえば、「教育基本法」 では、教師は「教員」と呼ばれますが、「学校教育法」では「教諭」と言われます。

また、「定数基準法」では「教職員」といい、「教育公務員特別法」ではもちろん「教育公務員」で「免許法」では「教育職員」と言われ、さらにこの上に「教員(公務員法)」「労働者(労働基準法)」「勤労者(憲法)」などといった呼び名が加わります。

法律上の呼び名がこのように多種多様な職種はほかにはありません。

戦後、教師を見る目がいかに錯乱しているかを物語っています。

なお、「教師」というのは俗語であって法律用語ではありません。

■教師は労働者なのか

教師は「労働基準法」の上では、第八条第十二項で、教師を「教育・研究または調査の事業」に従事する「労働者」としていますが、「労働組合法」は適用されないから実質、労働者とは言い難い。

かと思えば、「国家公務員法」または「地方公務員法」では争議権はないものの団結権および団体交渉権(ただし、協約締結権はない)は保障されているといった具合で、結局、教師は「労働者」であるのかないのか、法律上では、さっぱり、要領を得ないのが現状です。

現に、敗戦後、日教組は「教師は労働者である」と綱領に謳ったばかりでなく、政府も日教組、その他の教員組合を労働組合としてきて処遇してきたし、私立学校の教員の団体は現在、「労働組合」を結成することを認めております。

教師を労働者とする考えは、日本を占領したアメリカ軍の教師像でした。

アメリカ教育視察団の勧告の中にも「教員組合(労働組合)」も含めて、あらゆる種類の教師の団体は、その結成を許されるべきだ」と述べています。

占領軍が敗戦後の日本の教師の処置に関する諸法律は、この勧告の趣旨に基づいて作成された背景から、日教組の結成、綱領は、アメリカ軍の手によって作られたと言っても過言ではないといえます。

最も、教師を労働者とする思想は、欧米では当たり前であったかもしれません。

もともと「教師」を意味する古語ペタゴギーのもとの意味は「教僕」です。

古来、西欧では、教師は雇われて、子どもたちの面倒を見る奴隷でした。

「奴隷」または「しもべ」から「労働者」へという意識の転移はきわめて容易であり、教師を労働者とする考えには、そんなに抵抗はなかったのです。

イギリスでは、「教師は黒服の労働者」と言われたし、教師は労働者と割り切っているアメリカの教師たちには、「その労働力を時計で計って売る(マルクス)」ことは何の疑問も持たず、登校すれば必ずタイムカードに登校時刻を記録しているのでしょう。

日本の場合、いまもなお東洋思想が生きており、教師に対しての期待と信頼が日本の国民の心に残っています。口では「教師は労働者」と言い張る日教組の組合員にも、頭の中の思想と身についた伝統には落差があり、日本の学校には、いまだにタイムカードはないし、要求もしないようだ。

■教師の法制上の地位確立が必要

最近は、行使の争議行為も以前と比べて少なくなったが、現状のような雑多な法律の教師への適用は、教師はもとより、司法の判断を動揺させ、子どもたちの教育を一層荒廃させてしまう要因になることは事実でしょう。

少なくとも、法律上の教師の地位だけでも明確にし、教師たちに疑問の余地のない行動指針を示す時が到来していると考えます。

いま一般化している教師への俗称である「教師」および「先生」に最も感覚的に近い呼称は「聖職」と思われますが、これは①神仏に仕える職業、②キリスト教の宣教師や牧師などの僧職とまぎらわしく、教師たちが「学習指導の技術者」であるという一面を見失わせてしまいます。

といって、「階級的視点を明確にした教育労働者」などと言うのは国民感情にはなじみません。

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とすれば、教師を「専門職」とするのが最も妥当で、この見方には充分に国際性があり、ユネスコ、ILOなども、この呼称を使っていますから適当であると思います。

教師は当然、教育に関する知識、技能の専門家でなければなりませんが、それとともに、「自己」の職務内容を自律的に確立し得る「自由」を持たなければなりません。このことこそが「専門職」の真の意味であり、学校教育法第二十八条が示す「教諭は児童の教育を掌る」との意味を表現したものと思われます。

もちろん、自由には当然、責任が伴いますが。

以上のような教師観を国民共通のものとして定着させるために、最終的には、やはり、「教職員法(教師と学校事務などを処理する職員、その他の職員のための法律)」の立法が必要であります。

この法律には、①教職員の身分②給与③免許④服務⑤定数⑥教職員団体など一切を包含し、この法律を立法することによって、教職員の地位を明確にすると同時に、二十一世紀の新しい教職員団体のあり方を国民に問うことになります。

教員は労働者なのか、地方公務員なのか。それとも、全体の奉仕者なのかといった曖昧な戦後の教師観にピリオドを打つことは必ずや国民各層の支持を得られ、教育界の活性化を図ることになることと確信いたします。

【「教員」との呼称で表記した関係法律】

教員基本法、学校教育法、高等学校設置基準、大学設置基準、理科教育振興法、産業教育振興法、高等学校の定時制教育及び通信教育振興法、僻地教育振興法、地方教育行政の組織及び運営に関する法律、私立学校法、教育公務員特別法

【「教職員」との呼称で表記した関係法律】

公立義務教育諸学校の学校編成及び教職員定数の標準に関する法律、公立高等学校設置適性配置及び教職員定数の標準に関する法律

【「教育職員」との呼称で表記した関係法律】

義務教育諸学校における教育の政治的中立に関する臨時措置法、教育職員免許法、女子教育職員の出産に際しての補助教育職員の確保に関する法律

【「教育公務員」との呼称で表記した関係法律】

教育公務員特例法

【「学校の職員」との呼称で表記した関係法律】

学校保健法、結核予防法

【「職員」との呼称で表記した関係法律】

地方公務員法、国家公務員法

【「労働者」との呼称で表記した関係法律】

労働基準法

【「勤労者」との呼称で表記した関係法律】

憲法

【「全体の奉仕者」との呼称で表記した関係法律】

教育基本法