「日本死ね」の背後に透ける立憲主義の危うさ


歪んだ日教組の教育観、教師の崇高な使命阻害
国家無視の行き過ぎた個人主義まん延阻止を
元凶は宮澤俊義の憲法解釈論
まなじり決して憲法改正に取り組め

 

-全国教育問題協議会の「1000字提言」-
全国教育問題協議会 山本豊常任理事

 

■国家と国民を対立させる歪んだ日教組の“滅公奉私”教育

「保育園落ちた。日本死ね」といった母の声を安倍総理、どう思うのか。

一昨年の国会で現・立憲民主党代表代行の蓮舫氏が国会の代表質問で発した言葉だ。

「子どもを育てる責任は私ではない。国であり、社会だ」と言いたいのだろう。

しかし、一党の代表者が平然と「日本死ね」と自国を否定する意見を代弁するその姿勢に驚いた。

また、日教組(日本教職員組合)の元委員長の岡本氏がまだ現職のころ、新年会の幹部会で「われわれ教師は、日本の平和、子どもの人権を守るために、国家よりも個人、国権よりも人権を優先した教育を推進しよう」と国家と国民と対立的にとらえる人づくりこそが教師の使命だ」と挨拶したが、本当にそうなのか。

教師の使命は子どもに生き方を教え、子どもに生きる勇気を与えるといった崇高な使命であって、平和を守り、人権を優先し、“滅公奉私”の国民を育てる教育の推進ではない。

日本が独立してから64年を経過した今、やっと憲法改正の動きが出てきた。

しかし、国民の一票が改正のカギだが現実は厳しいのが現状だ。

「七十年も平和だったのに今さら改正しなくてもいいのに」「アメリカに追従し、集団的自衛権を認める戦争法に絶対反対」「憲法学者が反対しているのになぜ改正するの?」など改正に反対するマスメディア、政党、労働組合、市民団体が一致して反対運動を展開しているからだ。

さらに注目すべき思想が登場してきた。

平和安全法制への反対運動が高まったころ、突然登場したのが「立憲主義」といった「憲法解釈」である。

■極めて危険な国家を離れた個人の過大な権利を主張する風潮

憲法は国民の生命、財産を守り、国の安全を維持し、一国の運命を左右する国の根本法である。

にもかかわらず、国家を離れて個人の自由を主張する思想を正当化する風潮は極めて危険な考え方と言える。

大規模な天災や外国からの侵略などの非常事態の際に人権を制限する「緊急事態管理」を新設する憲法改正にすら反対する学者や国民が少なくない。

憲法学界はいまでも「憲法は政府の権力を制限し、国民の権利を守るのが憲法の使命」といった憲法解釈がまかり通っている。

1945年、占領後の日本をどんな国にするかを決めたのが占領軍総司令部の憲法作りだったが、これに協力したのが東京大学法学部教授の宮澤俊義氏とその弟子の教授たちだった。

「憲法は権力を縛るもの」といった憲法論を強調し、あたかも人権を守るために憲法が存在しているような解説が今でも持てはやされてきた。

その風潮によって「日本死ね」、「国権より人権」といった考え方の裏側に立憲主義が見え隠れしている。

立法に携わる国会議員に訴えたい。

今回の機会を生かさなかったら、日本の未来はありません。

まなじりを決して取り組んでほしい、と。