正気を疑う「日教組」亡国の教研集会


 曲がりなりにも今や政権与党の支持団体である。反日教育の代名詞だった日教組も、責任を自覚したはず---と考えるのは早計にすぎるようだ。茨城県で開かれた60回目の教研集会で行われた数々の報告は、売国と自虐に満ち満ちて、とても正気の沙汰とは思えない。 

  今、日本でどんな教育が行われているのか、その「見本市」のようなもの、と言えるだろう。日教組の第60次教育研究全国集会、略して教研集会が、1月22日から3日間、茨城県で開かれた。先生たちが25の分科会に分かれ日ごろの教育の成果を発表し、のべ1万人が参加したという。

 まず、「社会科教育」を傍聴してみた。北方領土学習について報告した根室市の中学教諭は、それが日本固有の領土だと教えているのかと思いきや、「北方領土はどういう視点で考えるべきか、すごく広くて難しい」と、堂々とのたまう。この先生が事前に提出したレポートには、こんなふうに書かれている。「権力者たちにとってみれば、私たちが知恵をつけていくことを恐れている。なぜなら、自分たちが作り上げたシステムを壊されていくことになれば、彼らにとっても困ったことになってしまうだろう。そして、その知恵をつけさせるのは教員の仕事である」北方領土はどこに帰属すべきかわからない、という教育も「知恵」のひとつか。

 憲法9条を扱った授業の報告をしたのは、沖縄の中学教諭。「県の教研で討議しましたが、『改憲に反対できる資料を用意しなと、生徒が賛成になるのではないか』という意見が出ました」生徒の意見を尊重するのではなく、改憲論を強引に封じたいらしい。この先生のレポートには、「自衛隊の国際貢献は、実は日本の再軍備につながること、また、それを望む政治家を含めた人々が増えていることを知らせ、『国際貢献』の名のもとで、『戦争のできる国づくり』が始まっていることを理解してほしいという思いがあった」

 教育の中立性への配慮が微塵もないこんな主張をしても、日教組の仲間の中では孤立しない。「もっと自衛力を高めようという生徒が論理的で、護憲派は感情的。そこにどう働きかけたらいいかわからず、悩んでいるんです」と、千葉県の教諭が返したように、同じ悩みを抱える同志が現れるのだ。

 ゆとり教育を改めた新学習指導要領の導入は、世論の勝利のはずだが、釧路市の中学教諭の、「朝学習や放課後学習など『学力向上』のためのとりくみが強化されてきている。そのため、子どもも教師もゆとりのない日程で学校生活を送らざるを得なくなっている」という声をはじめ、何人もの報告者が「ゆとりの復権」を声高に叫んでいたのだ。

 また、宮崎県の中学教諭は学力テストに対し、「現場を忙しくしているだけで、意味が無い。『止めてほしい』とほとんどの職員が思っている」と、ゆとり重視の観点から廃止を訴えるが、子供にとって必要か、という視点はまるでない。レポートにこうも書いている。「いま、『戦争のできる国』づくりのために教育基本法が改悪され、国家主義的な道徳教育が重視されつつある。今の学校の時間の中で、教科や知識、技能を若い世代にいかにして伝えていくかということに使っている時間と、それ以外の生徒の軍事訓練のために使っている時間とどちらが多いのだろうかいうことを考える必要がある」 なんと、学校ではかなりの時間を「軍事訓練」に割いている、というのだ!

 民主党が教育基本法を骨抜きにするのを待っているというが、こんな発言が飛び出すのも頷けよう。「学習指導要領について、09年のマニフェストでは、法的拘束力のあるものから大綱に戻す、ということだったので、ぜひ早く宣言しろ、と。学習指導要領に拘束されて作った教科書に強制されなくてよくなるので、そういう戦いもやるべきではないかと思うんです」彼らには教育基本法も学習指導要領も唾棄すべきもので、自分たちが信じる価値観を教育現場に押しつけることが、すべてに優先されるらしい。

 「おのれの認識と世間の認識がずれていれば、目に見える影響があるものですが、世間との交流がない日教組の教員にはそれがわからない。そして世間知らずのまま、世間にマイナスの作用をもたらしています」と言うのは、武蔵野大学元教授で教育学者の杉原誠四郎氏だが、こんな連中が教育を牛耳るばかりか政権によって守られている。将来の日本の危機は、もはや底なし沼であるまいか。
(週刊新潮、2011/2/3より要約)