第31回全教協教育研究大会 基調講演(要旨)元内閣総理大臣 安倍晋三氏


第31回全教協教育研究大会 基調講演(要旨)

        祖国日本の国難を乗り越えるために
                         元内閣総理大臣 安倍晋三氏

 (社)全国教育問題協議会〔中尾建三理事長〉では(平成23年)八月十五日、東京・千代田区の自由民主会館で第51回「全教協教育研究大会」を開催し、元内閣総理大臣の安倍晋三氏による基調講演や「これからの人づくり、国づくりのあり方を求めて」をテーマに、パネルディスカッションが行われ、約五百人が参加した。安倍晋三氏の講演の要旨は次の通りです。

 司会 元内閣総理大臣・安倍晋三先生の講演をいただきます。テーマは「祖国日本の国難を乗り越えるために」です。 

講演する安倍晋三氏

講演する安倍晋三氏

◆日本人に守らなければならないものを教えてくれた大震災

安倍 全国教育問題協議会主催の研修会に夏の暑い中、こんなに大勢ご参会いただきましたこと、厚くお礼申し上げます。


 三月十一日(平成23年)の東日本大震災はとても忘れられない出来事と思います。
 一七五五年、ポルトガルのリスボンに大津波があり、ポルトガルはこの大震災を機に坂道を転け落ちました。この日がキリスト教の祝祭日であったため熱心なクリスチャンたちがキリスト教への疑いを持ちました。
 日本の場合、ボルトガルと違い、日本人にとってつらい経験ではありますが、私たちが守らなければならないものは何か、を認識する機会になったのではないかと思います。

 地元の被災者の方々は困難の中で助け合いました。福島第一原発では被曝覚悟で自衛隊、警察、消防、その他の方々も黙々と作業に取り組みました。彼等は損得を超える使命があることを私たちに示しました。家族を守り、ふるさとを守り、祖国を命がけで守るといった行動が、私たちや、外国の人々に感動を与えてくれたのです。

◆たった八日でアメリカが作った日本国憲法

  私は安倍内閣を組閣した時「戦後レジュームからの脱却」を大きな目標にしました。つまり、命をかけても守るべきものの再認識でした。六十六年前、日本を占領したマッカーサーは日本国政府に憲法を作るよう指示、当時幣原喜重郎内閣、松本烝治担当大臣は二つの案を作りました。しかし、その草案が昭和二十一年二月一日「毎日新聞」にスクープされ、それを知ったマッカーサーは「自分の考えと違う草案だ」と激怒し、日本国政府に任せられないとホィットニー民政局長にGHQで憲法を作るように指示したのです。ホィットニーはGHQ内の起草委員を二十名指名し、二月十二日までに作れと命じました。わずか八日間で作らせたのです。しかも委員の中に弁護士が数人いましたが、憲法の専門家は一人もいませんでした。

 なぜ二月十二日かと言えば、日本は関係ありませんが、その日がリンカーン大統領の誕生日だったからで、たった八日間で作られたのが現日本国憲法なのです。

◆日本国憲法を改正する三つのわけ
 私は日本国憲法を改正すべきと考えています。理由は三つ。一つは、憲法は私たちの基本法だから、どんな制定過程で出来上がったのかを知ることです。つまり、占領軍によって作られたことを知ることです。二番目は憲法が出来て六十年経ち、時代にそぐわない条項があったり、新しい価値観を人々は持っことになり、現在の日本に合った憲法に変えていくべきです。三番目は私たちの憲法は自分たちの手で作る精神が大切です。これは、自民党の結党の原点であり、再び憲法改正を追求すべきです。

◆日本国憲法の前文は敗戦国日本の詫び状
 現憲法でおかしいのは、まず前文です。
 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とありますね。普通の国の憲法は私たちの国土、領海、そして国民の命は断固として守るという決意が示されていますが、日本国憲法の前文には、平和を愛する国民に任せるとあります。一つまり国の安全を守る責任は与党にも総理大臣にもない。おかしいでしょう。この後も前文には「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」とあります。このような崇高な理念を掲げているのは誰でしょう。主語は日本人じゃありません。平和を愛する諸国民なんです。皆さんに褒めてもらいたいという、いじましい決意を示しています。だから、この決意はまさに敗戦国の詫び状ではないかと思います。

◆日本の外交に主体性がないわけ
 よく「日本の外交に主体性がない」と言われますが当たり前です。前文の通りに黙々と平和を愛する諸国民にお任せするのですから、戦後六十六年経ったいま、日本国憲法の前文を変えるのは当然だと思います。

 一九七七年九月、日航機がダッカでハイジャックされる事件が起きました。ハイジャックしたのは民主党と関係のある赤軍派でした。現金プラス服役囚を釈放しなければ人質を殺すという要求を、当時の福田赳夫首相に出しました。しかし、外国は命をかけて日本のために何かをしてくれることは残念ながらありませんし、警察や自衛隊も憲法上、行動が不可能でしたので、彼らの要求を受け入れざるを得ませんでした。福田首相の「人命は地球より重し」というほかに道はなかったのです。

◆ドイツと日本で全然違ったハイジャック事件
 その後、ドイツのルフトハンザ機がハイジャックされましたが、ドイツは特殊部隊を送り込み、全員射殺し、人質を解放したのです。

  ドイツと日本は敗戦国ですが、両国は明らかに大きな違いがありました,自国の憲法を作ったドイツと、全く外国によって作られた憲法を大事に押しいただいてきた日本との大きな違いでした。

 一九七七年の九月、鹿児島で拉致事件が起きました。久米裕さんが北朝鮮によって拉致されたのです。実行犯は金世錦という北朝鮮のスパイで、手引きしたのは朝鮮総連でした。当時の警察は、外交上大問題になるので公表しませんでした。当時はマスコミも世論も、北朝鮮は平和の楽園とされていたからです。

 その四ヵ月後の一九七七年の十一月に横田めぐみさんが拉致されました。鹿児島の事件を断固として北朝鮮に抗議していたら、横川めぐみさん事件は起きなかったでしょう。憲法によって私たちは、十三歳の少女の人生を守ることができなかったのです。

 天皇陛下が東日本大震災の被災地を訪れ、多くの被災者の方々に声をかけられ、がれきの山に向かって深々と頭を垂れられたお姿は、被災者にとって癒されたことでしょう。

 天皇陛下が言われたお言葉の中で「これからの日々を生きていこうとする人々の雄々しさに深く胸を打たれています」というお言葉がありますが、このお言葉は天皇陛下が考え抜かれたお言葉でした。

 千年以上に亘って、ひたすら国民の安寧を祈ってきた皇室の圧倒的な歴史と伝統の力は、総理大臣が真似しようと思ってもできません。私たちの大切なものは何か、守るべきものは何かということを再認識できたのではないかと思います。

 敗戦の翌年、昭和二十一年の歌会始において昭和天皇が詠まれた御製に「降り積もる深雪に耐えて色変えぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ」と詠まれました。雪の冷たさと重さに耐えて松は青々とした美しさを失わない。日本は戦い敗れたけれど、日本の美しさは失いたくないものだという思いを、雄々しさに込められのだと思います。

◆自分自身に自信が持てない日本の若者たち
 何年か前に総理府は日本、中国、アメリカの子供たちを対象に行った意識調査で、今でも二つの答えが記憶に残っています。

 一つは「あなたは国のために何をしたいか」という設問に対し、アメリカ、中国の子供たちは、八割以上が「何かしたい」と応答しましたが、日本の子供は五割を切っていました。もう一問は「君は自分自身に自信を持っていますか」という質問に対し、アメリカや中国の子供は九割近くが「自信を持っている」と答えましたが、日本の子供は四九%位しか「イエス」と答えませんでした。これはやっぱり学校の場で自分の国を貶(おとし)められたら、その国に尽くそうとは思わないし、日本人であることに誇りを持てなければ、やっぱり自分自身に対する自信など湧いてこないんです。だから私は教育基本法を変えようと決意しました。

 今まで全部で十一条だったものを十八条に変えました。特に第二条に教育の目的を五つ、つまり、公共の精神や日本の文化や伝統の尊重、国や郷士を愛する心を養う、他国を尊重し、国際社会に対して貢献する心を書き込みました。

 しかし残念ですが、教育基本法、学習指導要領を変えれば、それにのっとった教科書が作られると思いましたが、違いました。育鵬社や自由社の教科書でなく、東京書籍社の教科書の採択率が八割のシェアを持っているのが現実です。今年は中学校の教科書の採択の年です。どうもおかしいという常識が風穴を開ければと期待しています。

◆国難を救う大切な機能はマスコミ界と教育界
 横浜は素晴らしいですね。横浜みたいな難しい選択区で育鵬社を採択しました。横浜でできることが、何故山口でできないのかと聞くと「いろいろ難しい問題がある」と言うのですが、教育委員、市長もおかしいと言うのに採択できないのはおかしいと思います。市議会などで追及していくことが大切です。

 例えば、日本の自衛隊の記述について東京書籍にはどう書いているかというと、自衛隊の記述について憲法との関わりは四行しかありません。「政府は合憲と言っていますが憲法に反しているのではないかという声がある」という書きぶりです。やっばりおかしいですね。

 東日本大震災で被災した人々を救うために、今回多くの人たちが命をかけて頑張ってくれました。そういう人たちがいて、地域や家族が守られたことを教育の場で教えていくと、自分もそうなりたいと思うものです。

 戦後六十六年、日本の教育は世の中には損得を超える価値があること。人のために命をかけることがあると教えてこなかった。ましてや国のために命をかけるなんて愚かなことと長い間教えてきました。マスコミも同様な報道ぶりです。マスコミと教育界を変えていかなくては、日本は無くなるといった危機感を強くしています。

 民主党政権ができたことによって、教科書検定の視点が変わりました。検定官が検定のストライクゾーンを決めると、そのストライクゾーンであれば全部ストライクなんです。そうすると、全部ボールは左いっぱいなんです。そうすると採択する側も左いっぱいの教科書を採択してしまうのが現実で、この構造を何とかしないといけません。

◆憲法改正こそ日本再生のカギ
 戦後レジームの根幹は憲法であり、教育基本法と経済至上主義とを重ね合わせた価値観の三つです。この三つを変えていくことこそが新しい時代につながっていくのだろうと思います。

 今、民主党政権になって憲法改正の機運は「シュン」としていますが、私は憲法の改正条項を変えたいと思います。

 国会議員の三分の二の発議によって国民投票が可能になります。ですからこの三分の二を二分の一にすれば、国民の皆さんが憲法について考える機会を取り戻すことができます。しかし、日本の憲法を改正する手順は、国会の議決、国民投票ですので、世界の憲法改正の手順に比べれば、極めて改正の難しい硬性という性格は変わりませんが、改正に向けて取り組む所存です。

 今、日本の領海が危なくなってきました。この二十年間に中国は国防費を二十倍にし、航空母艦を持とうとしています。空母よりも高速鉄道を動かして貰いたいですね。〈笑)
 こういう事情の中で、日本は意志をはっきり示すことが大切です。示さないと中国は取れるものは取ろうとしていますから。

◆国会議員の入国拒否はとんでもないこと
 先般、日本の国会議員が韓国に入国を拒否された事件がありました。なぜ彼らが入れなかったのかというと、入国管理において、この三人は国内の平穏や治安を乱すとしてツーリストに対して適用するような条項を使いました。つまり、行為に対して使うのではなく、人物に対して拒否したのですから、この三人は今後韓国にはなかなか行けないことになってしまいました。こんなことはとんでもないことです。
 普通の国であればそんなことはしません。

 しかし中国は、日本は強く言えば言うほど言ったほうが勝ちみたいな考えがあるのだろうと思います。要は一日も早くわれわれは政権を奪還しなくてはいけないと思っています。〈拍手〉


 司会  安倍先生、どうもありがとうございました。それでは会場からのご質問をお受けします。いかがですか。
会員・東京都 全教協が長い間ずっと取り組んでいた教育基本法改正を、安倍先生の手で実現していただいたことに対し、まずはお礼を申し上げます。憲法改正が国の復興の原点であるという考えを持っておられる政治家は、安倍先生しかいないと思います。民主党からの政権奪還はもとより、ぜひ再度総理になられて憲法改正をやっていただけたらと思います。

 安倍  憲法改正は私の執念ですので、できるまで全力で頑張りたいと思います。〈拍手〉
会員・東京都 教育の問題については、やはり理念の問題が一番本質的な問題だと思います。大和魂がつぶされた今こそ、日本的伝統に根差しながら、世界に通ずる思想を持つ哲学家や思想家の役割が大きいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

◆なぜ、今、教育改革なのか
 安倍 教育基本法を作ったのは、私が官房長官で小泉内閣の時でした。小泉さんが最後の時、教育基本法を持っていき、読んでいただきました。小泉首相は十一条の教育基本法を読んで「なかなかいいことが書いてあるんじゃないか」とおっしゃるんで、私は「これではどこの国の教育基本法かわかりません。日本の香りがしませんので改正の必要性があります」と述べました。小泉首相は「やっぱり変えましょう」と決意をしていただいたいきさつがあります。そこまでには時間はかかりましたが、私の時に何とか通すことができたことは誇りとするところです。

◆一貫して取り組んだサッチャー首相とブレア首相
 私は、山谷えり子さんたち何人かの議員をイギリスに派遣して、サッチャー首相が行った一九八六年の教育改革を現場で調査して貰いました。当時、イギリスはイギリス病と言われ調子の悪い期間が長く続いていました。
 サッチャー首相は教育改革に力を入れ、国の建て直しを図ったのです。一つは学力を上げる改革、もう一つは、イギリス人に自信を持たせる改革でした。
 当時イギリスでは、学校教育において自虐史観がまかり通っていました。小学校・中学校の教科書に、イギリスの帝国主義がいかに大きな問題であったか、いかに世界に災禍を広めたかといったマイナス面が書かれていましたが、サッチャー首相はバランスをとってブラス面も教えるようイギリスの教育を変えました、
 サッチャー首相の次のブレア首相は、教育に国家予算を盛り込み、やり方は違ったのですが、教育に力を入れ、イギリスはまさによみがえりました。

 日本も独自の文化、良い伝統と歴史がありますから、これを堂々と子供たちに教えることによって、もっと自信や自尊心を持った日本人になっていくと思います。
 自信を持つということは、倣慢になるということとは違います。日本人として誇りを持てば、海外に出掛けて行って困っている人を見かけたら助けてあげることができる人間になるでしょう、誇りある日本人として、そういう真の国際人になっていくんだろうと思います〈拍手〉

会員 千葉県  日本は独立してから五十年経ちました。五十にもなった息子がおやじの教育が悪かったと言ってもしかたがありません。われわれ日本人の責任であり、占領軍の責任ではありません。安倍先生が総理の時に教育改革に取り細まれたことに尊敬しています。もう一度総理になって下さい。ぜひお願いします。〈拍手〉

会員 福島県  率直に言って教育委員会は本当に必要なのでしょうか。実際の教育委員会の実権を握っているのは、教育委員長でなくて教育長です。教育委員会自体もGHQから押し付けられた教育制度だと思うんです。これらの改革について議論があったかどうか教えて下さい。

◆教育再生のカギは教育委員が自覚と責任を持つこと
 安倍  教育再生会議で「教育委員会をどうするか」という議論が活発に行われました。私は教育委員会を無くすと、首長と現場という構図となり、立派な首長さんであればいいのですが、そうでない場合もありますよね。

 裁判でも法律の専門家で決めるといった陪審員制度と似ている理念があり、普通の人というか、一般人が教育にかかわるという狙いがある制度なんですね。要は教育委員がそれぞれ本当に自覚を持って責任を果たせば、教育委貝会制度はうまくいくと思います。まだ教育改革も教育再生も道半ばですから、教育委員会のあり方について議論することは大事です。
 教科書採択で問題が起こっていますが、事なかれ主義に最後は流されてしまうこと。現場から上がってくるのが正しいものが上がってこない現実、などに大きな問題を抱えていると思います,

司会 それでは、最後の方どうぞ。

◆教科書の公開討論会に出席しない会社は淘汰すべき
 杉原 全教協顧問  私は自由社の公民教科書の代表執筆をしました。質的に向上した教科書を作ったつもりですが、実際の採択は惨憺たるさまで、ほとんど採用されませんでした。教育委員会の問題ですが、私は採択制度の中に非常に不合理なものが沢山あると思います。そこで具体的に改革して欲しい点を申し上げます。

 名古屋市で市会議員さんの方が中心となって、教科書について公開討論会を開きました。ところが出席したのは自由社と育鵬社の方だけ出席し、あとの五社は欠席でした。これは結局、公開討論に出れば説明できないようなことを書いているから出られないのです。〈拍手)三日程前にも東京で公開討論会を開きましたが、その時も三社以外は欠席でした。
 私は公開討論会に出られない教科書会社は、やはり淘汰されるべきと思います。〈拍手〉政権をとられたら是非お願いします。

◆誰が採択したのか、明確にすることが大切
 安倍 そういう公開討論に出席しないのは、ああいう人たちの特徴なんです。従軍慰安婦問題について公開討論会を開いた時に出席したのは「読売新聞」「産経新聞」は出席しましたが、「朝日新聞」は最後まで欠席でした。
 やっぱり自信が無いのでしょうね。教科書の採択の場合、何といっても採択の現場がどうなっているのかなんですね。山口県の光市は伊藤博文の生誕地です。この伊藤博文についてコラムがあるのは自由社だけで、他の社においては安重根に殺された人物として出てくるんです。しかし、それなのに光市は自由社を採択しないんです。高杉晋作の記述があるのは、自由社と育鵬社だけなんですけれど、採択は難しいというのです。

 理由は採択のプロセスがあまりにも不透明だからです。ですから、採択した人をはっきりするのがいい方法だと思います。例えば杉並区の場合、誰が反対したか、誰が賛成したかが分かります。
 採択した人が全く分からないということが一番大きな問題ではないかと思います。
司会 ありがとうございました。
 (終了・24.4.1更新)